日本発祥!キックボクシングの歴史やエピソードを調べてみた

日本発祥!キックボクシングの歴史やエピソードを調べてみた

この記事ではキックボクシングの歴史について、黎明期にスポットを当てて、独自の切り口で探っていきます。

日本のキックボクシング界の集大成とも言える那須川天心と武尊が戦った「THE MATCH(ザマッチ)2022」が記憶に新しい今だからこそ、あらためてキックボクシングが生まれた経緯やそこにあった意思に触れることで日本キックボクシング界の未来が分かるかもしれません。

と、少しかっこよく書きましたが、趣味で始めたキックボクシングとはいえ、せっかくやるなら歴史やうんちくを語れた方がいいですし、歴史や背景を知ることで上達のヒントがあるかもしれませんので、今回の記事を書くことにしました。

キックボクシングは日本発祥の近代スポーツ

キックボクシングは日本発祥の競技。立ち技最強と言われていたタイの国技ムエタイに対抗すべく、日本の代表的な武道である空手を融合、さらにボクシングの興行的な要素を加えたのがキックボクシングです。

というわけで、日本のキックボクシングを語る上で欠かせない人物を独断と偏見で3人クローズアップしました。彼らとキックボクシングの関わりを知ることで歴史を紐解いていきましょう。

1人目:野口修

キックボクシングの生みの親を一人上げるとすれば、当時ボクシングのプロモーターとして活躍していた「野口修」の名前が挙がります。野口修は、1964年にタイのバンコクで「タイ式ボクシング(ムエタイ)対大山道場(極真空手)」の3対3の対抗戦を企画し大成功を収めました。

さらに2年後の1966年には日本キックボクシング協会を設立し、空手家やボクサーの立ち技のトップ選手を集め、大阪府立体育館で初めてキックボクシングの興行を行いました。これがキックボクシング誕生の瞬間です。これこそ「日本のプロ格闘技のはしり」であり、日本における格闘技のターニングポイントとなりました。

2人目:山田辰雄

山田辰雄は日本ではじめてグローブを着用し、防具なしによる直接打撃制試合を実施したとされており、後のフルコンタクト空手、キックボクシングの誕生に関わる重要人物です。当時から、今のMMAに近い発想を持っていて、調べれば調べるほど先鋭的な考えの持ち主で、個人的にはいろんな意味で日本のブルースリーだと思いました。そんな実戦的で独創的だった山田辰雄が、新しい格闘技を生み出すためにムエタイを研究している際に野口修と出会っています。

実は1964年にタイのバンコクで行われたムエタイVS空手の空手側のオファーを出されたのは山田辰雄率いる日本拳法空手道だったのですが、このオファーを山田側が断ったため、極真空手の前身となる大山倍達率いる大山道場が参加することになりました。もしこの時、山田辰雄がオファーを快諾していたら、日本の格闘技界は大きく変わっていたかもしれません。

3人目:沢村忠

幼少の頃より祖父から空手を習っていた沢村少年でしたが、児童劇団にも在籍しており、将来は俳優を目指していました。大学生になっても空手は続けてましたが、すでに俳優は諦めて脚本家を志していました。しかし、その実績と能力を見逃さなかった人物がいたのです。野口修の勧誘を受けて沢村忠は彼が旗揚げした日本キックボクシング協会の選手第1号となります。

デビュー戦ではムエタイ選手に2ラウンドKOで勝利しましたが、タイ遠征ではランキング上位選手にボコボコにされます。この負けが沢村選手の原動力となり、キックボクサーとしての才能が開花。さらに持ち前のスター性と彼の半生を漫画にした「キックの鬼」の人気によって、キックボクシング人気は爆発、日本中が熱狂しました。全盛期には大相撲、野球、プロレスに匹敵する視聴率を誇り「沢村忠」はキックボクシングの代名詞となったのです。

まとめ 

日本のキックボクシングの歴史を紐解くと、創設当初から立ち技における異種格闘技という位置付けであり、それはK-1や RISE、さらにRIZINにも受け継がれていると言えます。

さらに興行を意識したマッチメイクやスター選手の売り出し方も良くも悪くもしっかりと継承されていますね。野口修という超優秀なプロモーターが作った仕組みが今の日本の格闘技を支ていると言っても過言ではないでしょう。

特にK-1の1993年の創設から2002年までの約10年間の歩みは世界的に見ても大成功でした。ちなみに2002年の東京ドーム「K-1 WORLD GP 2002 決勝戦」では74,500人という超満員の観客動員となり、文字通り世界的にトップレベルの格闘技団体になっていました。しかし、そんな絶頂期を迎えていたK-1の歯車が徐々に狂い始めます。

同年、株式会社ケイ・ワンの不祥事があり、K-1創設者の石井和義が辞任。この絶頂からの転落劇はキックボクシングの歴史において一つの節目となった出来事と言えるでしょう。

その後、日本の格闘技界は紆余曲折ありながらも、現在の格闘技ブームに至るまで脈々と受け継がれています。

そして今年、那須川天心というスター選手がキックボクシングから去っていきました。一時代の終わりを感じますが、天心、武尊以降のスター候補は誰なのか、今のMMA主体の格闘技界にキックボクシングは生き残れるのか、キックボクシングの未来は明るいと信じたいですね。

個人的には実力とスター性を兼ね備えた吉成名高選手が中心になって、日本のキックボクシング界を盛り上げてほしいと思います。

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